「カメラのためにお金をためる」

 初任給を貰った。といってもアルバイトのだけど。でも、初任給だよ!と言われながらもらったから、初任給だ。ふと帰りの満員電車の中で、このお金でカメラを買うことを想像した。そしたら急にわくわくした。カメラが手に入るかもしれない期待じゃなくて、「目標をたてるってこういうことかあ」とわかりやすい例をみつけたことにわくわくした。
 小学校の新学期、たいていわたしがA4の色画用紙に書くのは「早寝早起き」。それがまあ世間的に健康的な児童でいるために推奨されることだからとりあえず書いていた。目的が抜けた目標なんてクリームの乗っていないクリームソーダだ。(上手いこといったつもりですべってるやつだ)。塾でも適当に書いて過ごしてたな。「成績を下げない」誰もつっこみは入れてくれなかった。

 最近、これの「目的は」とか「言いたい事は」を意識するようになった。意識しないとできないことに気付いただけでも、前よりは頭が良くなったっていえるのかな。このBlogも一応、書きはじめと終わりの軸がぶれない範囲でオチをつけようと必死です。

 話しを戻します。目標につきうごかされることを、モチベーション2.0というらしい。モチベーション1.0は「お腹がすいたからご飯がほしくて頑張る:動物的な欲求」2.0は「これをやったらこれがもらえる:報酬」3.0は「やってること自体に価値を感じられる、次の原動力になる」

 この流れは理解出来るけど、3.0ってゾーンなのかなと思った。チクセントミハイがいうフロー体験。一種、催眠術的な恐ろしさを感じるのは私だけなのでしょうか。それ(やっていること)がなんだか間違っているかもと思いはじめてしまったときの絶望感とか。意識が高いなんとか、みたいなものが嫌いなのはそのせいでもあります。だって、そりゃあ、羨ましいんですもの。
 しばらくは「カメラのためにお金をためる」みたいな地道な、ちゃんと目的のある目印をつくっていきたいな、わくわくできる目標がいいな。